Miel*Miel

北山担(2003年嵐組〜)のぶろぐ。嵐と嵐組の思い出を大切にしつつキスマイの活動まで見守り今に至ります。

めずらしくじたんの話をします

 

 

 

最近知り合ったどうたんの方に、

もっと売れてほしいので、
ひゅーじっくK とか恥ずかしいし、
一般受けしないから辞めてほしい

と言われました(笑)

言ってることはわからなくないし、
きっとそうなんだろうなとは思うけど、

わたしは、
あれはじたんっぽくて面白いし
じたんぽくて草だし(とても褒めてる)、
恥ずかしいじたんが好きだし、
わたしはできれば40歳50歳になっても使っていてほしいw
と返しました(笑)

そしたら え〜〜… 売れてほしいからやだ
説明するのも恥ずかしいし…(※)

と言われた(笑)

 

売れる ってなんだろう?

ちゃんと考えたことなかったから考えてみる。

 


今の時代、
CDの売り上げがミリオンいくと「売れてる」になるとは限らないし
どういう状況になったら「売れた」になるのかわたしにはわからない。

たくさんの人に好きになってもらうことが
「売れた」になるのかな?
てれびを見る人だって少なくなってるように感じる昨今、
一般の人で、てれび見ない、持ってない、興味ない、という人がわりと周りにいます。
ならネット配信をたくさんすれば良い、とも限らないよね…?
世間の人に知ってもらうってどういうことなんだろ?
それに、濃いおたくが減ってしまってる寂しさを感じることもある。
もしかしたら、全くいなくなってしまうかもしれない。
それでもたくさんの人に好きになってもらった方がやっぱ嬉しいのかな?

わたしはじたんから、
じたんが思ってる「売れる」という話を詳しく聞いたことないし
どの状態のことを言ってるのか知らない。
国立でこんさーとやりたい、
たくさんの人に知ってもらってきすまいを好きになってもらいたい
と思ってることは知ってるんだけどそれくらいで、
それはどういうことなのかはわからない。

でも、じたんが思う「売れた」になれればいいなとは思う。


でも、

じたんがじたんらしくいられる、
いてもらえる なら。
かな。

じたんにとってはお仕事だけど、
わたしにとっては趣味なので、
好きなじたんが見れなくなるなら
じぶんには意味がないからです。
好きなじたんが見れるなら、
じたんが思う「売れた」になることを全力で願います。


じたん、ここ数年で 、
語弊があるかもしれないけど、
“やっと戻ってきたなぁ”
と思ってる部分があるので、
それだけはもうなくさないでほしい。

わたしはでびゅーしてからの5年間のじたんは
どうしても見てられないくらいの時もあったんだけど
今、またやっと楽しくなってきたんだよね。

でびゅーして環境が変わるから仕方ないし
変わらなきゃならないとこもあるし、
そりゃそうなんだけど、
そこは除いて、見てられないことが多々ありました。
派閥問題がわたしは大きいと思ってるんだけど。(ってこれもあくまで想像ですが)

でも、その派閥がなくなったし(名残はあるけど)、
でびゅーして時が経ってじたんも環境になれたんだろうし、
他のめんばーものびのびやれるようになったことが
“やっと戻ってきたなぁ”
につながってるんだと思う。


変わってよかったところもたくさんあります!
年々成長もしていてとてもすごいと思う。
30過ぎてまだまだ成長し続けるってすごいことだよ。
見たことないじたんにまだ会えるんだよ。すごいよ。

周りの30過ぎの人見てもあまりそういう人いないもん(笑)
あ、わたしの周りだけだったらごめんだけど(笑)

 

そんな感じで
じたんはとってもおとなになって、
変わった部分と変わらない部分を持ってる。
どちらも好きだし、どちらもあるからいいと思う。

だから、
ひゅーじっくKはじたん自身も恥じらってる時もあったけど(笑)、
その恥じらいは変わった部分で、
ひゅーじっくKは変わらない部分で
その融合がおもしろくて良いと思うんだよ。


じたんの歴史を感じるから!


わたしは今までの歴史を大切にしているので
ひゅーじっくK、大好きなんだよねw

じたんって
そーゆー羞恥wなことばっかりしてて面白くて、
俺コンで草生やされてて、
ほんっとおもしろすぎで腹抱えて笑ったし、
その分アンチもけっこーいて(笑)、
でも、その隙間産業(と、わたしと友達の間で言ってるw)から
今に至るわけであって、
“ウザはチャンス”だったから、
今のじたんがいるわけで、


それが、きたやまひろみつじゃん?


と、思うのです。

だから、
ひゅーじっくKどうこうでなく、

そういうじたん好きだから、
じたんの良いところは無くさないでほしいなと思っています。

 

…というか、ひゅーじっくK連呼してるわたしの方が恥ずかしいわw

なんだよひゅーじっくKってwwwwwwwwwwww(と思えるのが楽しいし幸せ)

 

今日、

TVガイドプラスとTVガイドパーソンを読みました。

ここ数年じぶんがじたんのことで、
変わったな〜と思っていたところ、
変わってないな〜と思っていたところ、
どちらも本人がそれぞれ語ってて印象に残ったことを残します。


変わってないところだと、

「結果が全てと言われたらごもっともだし、
そういう世界だとわかっているんだけど、
やっぱり過程を大事にしたい気持ちは変わらないかな。甲子園でも、勝ったチームには勝ったチームなりの、負けたチームには負けたチームなりのドラマがあるじゃない?裏側にある物語を、“結果が全て”の一言で片付けたくない。〜略」

わたしもじたんを見る上で
これまでの過程がとても重要で大切なので
いままでの起きたことやその時思った気持ちはいいことも悪いことも忘れないし、重要。
昔からまっすぐ前を見て突き進んでいく人だけど、
途中で懐古もするし、昔を大切そうに話すこともするじたん。
ぷれぞんの時、まわりのまどの歴史も大切にしてた。
えびのこともずっと大事にしてる。
やめたずにあのこともずっと。
今年はもう16年も前のはうずの話もたくさんしてくれた。
だからわたしもずっとじたんが好きなんだろうなと思う。
嬉しいインタビューでした。


変わったところだと、

「お芝居をするときはじゃにーず的なイメージをなるべく除外する。」

演技の場に確かにいらないよね、わかる。

わたしは踊ってるじたんが好きなので、
舞台やドラマのじたんにあまり興味がそそられなかった。
どうしてもそれが頭に残ってるからだよね。

でも、ここ数年のじたんの演技は変わったし
その時の立ち振る舞いも変わった。

一昨年のあんちゃんのときにふと思った。
どこでそう思ったかうまく言えないんだけど、
スタンス変えようとしてるのかな?と。
今回はあんちゃんのときより感じてた。
あと、トラさんもみりおんじょーもなんとなく。
分かりやすいとこで言うと
明らかに初の外部だったいけめんですねの時と180度違う。

だからかな?グッズだけあいどる的な要素出したのは。
どうしても舞台だとそこが好きなおたくが集まるわけだし、
おたくのために精一杯あいどるもちゃんとやったんだろうなって。
ひゅーじっくK としたことにとても意味を感じた。

お芝居の時は除外していても見に来るのはおたくだし、
ちゃんとその人たちの 好き も提供する…

すごいなと思った。


なのでじぶんにも転機になった。
そういうのひっくるめて、ねざー、すごく好きです。
セリフ量も内容も演技自体も「挑戦」だけど、
グッズやおたくに対しての想いも感じて
まさに全てが「挑戦」なんじゃないかなと思って
すごくすごくこれも大切にしたい過程の一つになりました。
まだ舞台続くし、最後の演技でどう感じるかも楽しみです。


じたんがどこに向かって何を求めてるのか、
具体的に知ることは、
その時がくるまで知ることはできないかもしれないけど、
今はとりあえず、
まだまだこの 過程 がもっとたくさん見れたらいいな。
過程 がもっと続くといいな。

 

 

ということで、
売れる売れない の話はわたしにはやっぱり分からないし、
どういう状態になれば売れたことになるのか分からない。
舞台メインにやってるでびゅー組もずにあもいるわけで
それも素晴らしいことだよ。
売れている と思う状態は人それぞれだとわたしは思います。

そう思うと、わたしがじたんのふぁんになったとき
じたんのうちわの数は数枚でした。
じたんはその時から毎年右肩上がりで売れていってると実感してます(笑)

 

 

 

※説明しなくてよくないかな?
と思ったんだけど、好きな人のことは喋りたいからかな?
おたくはじぶんで調べる生き物だけど
確かに普通に興味のある人たちだったら色々聞いてくるだろうし、そういう場面がよくあるんだろうなぁと思った。